2010年05月31日

第一回 セリフの研究3、セリフと人物性実践ワーク85

(最終話 正義か悪か〜Alone Agein(8))


ラストは……

正義も悪も、華恋の中にはありませんでした。

そもそもそんな概念は
世界に元から存在しませんでした。

原始のはるか昔から、
人は生きるために、食べるために
殺していました。
自らと他の種を。
自らと同じ種を。

しかし、自らがより繁栄し
より安全に生き
苦痛を避けるために
そんなために
正義や、悪などの概念が生まれたのかもしれないし
やはり僕自身も
それらがないと、生きていけません。
社会が成り立ちませんから。

いきなり隣人に刺し殺されても文句も言えない世界には
生きていたくありません。

しかし、そんな実感、体感が
全く無い人生を
歩んできてしまったのが
この美女崎華恋という愚恋なのです。


そして、まるで幼い子どものように
精神に深い葛藤を持たない華恋。

そんな彼女と全く正反対に
正義を愛してきた義太郎本人が
正義を愛してきたからこそ
正義と悪の狭間で揺れ動かざるを得ませんでした。


結局、義太郎はそのどちらも選ぶことができず
自らの世界を終わらせてしまいました。

ほんとうに皮肉なことに
善と悪を両天秤にかける苦悩に向かい合った
義太郎が死に

そんな天秤の選択に向かい合うほどに
成熟していないだけの華恋が
生き残ってしまいました。


決していい作品でも好きな作品でもないですね。
あくまでワーク用の例です。
いえ、小説にもシナリオにもあらすじにさえなっていない
それこそ愚作、愚かな練習作、愚練作です。

技術的にいい加減で未熟なことはもちろん

人間に対しても、死生観に関しても
真剣に向き合えていない。
難しいことを回避して
切実なことから逃避して
誠実さのかけらもない
少しの興奮を盛り込んだだけの
ガラクタを作っただけでした。

創作などではありません。
これは。



ただ……

あまりに幼く
あまりに純粋で
あまりに狂気的で
あまりに孤独で
あまりに愚かな

美女崎華恋に
ほんの少しだけ恋をしてしまった僕は

川に映る自らの姿に恋に落ちたナルキッソスと
どっちが愚かでしょうか。

比較しようというその問い自体、
愚問でした。

なぜなら作品とは鏡の向こうの自分を
覗くようなもの。


美女崎華恋の正体は
他でもないこのわたしの一部であって

わたしの中の

幼さ
純粋さ
狂気
孤独
愚かさ

でしかないのですから……。




posted by lilac at 18:00| シナリオ創作演習T | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。