2010年07月11日

何故、吉高由里子はつまらなくなったか


吉高由里子目当てで録画しておいた『美丘』。

脚色過剰なナレーション、演技。
冒頭5分もたずに早送りした。
(キャンパスでの長回しと、そのカットをどこで切るか
 については悪くないと思ったが)

とにかく、吉高の演技だけ見てしまおう。
と。

そして見て、愕然とする……

なんだろう、この、つまらない。
型にはまった
彼女らしさ、彼女らしい癖が
妙にそぎ落とされてしまった

単なるどこにでもいる、お綺麗女優の猿真似みたいな
演技は……。

シナリオの学校に入校したさい
自己紹介で堂々と
「吉高由里子の演技が大好きです」
と言った私だが
あの頃の、やる役やる役、吉高色に染めてしまう
しかもちゃんと一つ一つの役柄に息吹を吹き込んでいた
そして何より斬新だったあの演技は……

どこに行ってしまったんだろうね……

『白い春』以来だなぁ……

彼女がつまらなくなったのは……

これ、彼女の問題と言うよりも
もう、演出する側の問題ではないだろうか?
(根拠の無い推測だけれどね)

彼女自身は面白いもの、輝くもの、持ってると思うんだけど
それを演出する側が引き出しきれない、生かしきれない。

それどころか、
ある演技の型に彼女を押し込めていくことで
彼女の個性、魅力をどんどんそぎ落として
殺してしまうような
そんな気がする。


『トンスラ』とか、『あしたの喜多善男』とか、『ラブシャッフル』に
出てた頃の吉高を返せ。馬鹿野郎共が。

心の中でそう叫ぶよ。
俺は。


2年前、本気で
吉高由里子の演技に惚れてたからよー。

本気でね。








posted by lilac at 02:15| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

「頑張る」という倒錯、10


先生が言ったような


「魂が喜ぶこと」



僕は、人生の目的の大きなものは、これであってほしいと
思います。

あくまで自分の人生についてなので
他の方に押し付けるつもりはありません。

自分自身の、人生の喜びは何なのか。
身体感覚まで含めて、できるだけいっぱい考えて、
生きていきたいです。

そして、いろいろと模索しているうちに
「これを頑張ることは、自分にとっての
 魂が喜ぶことだ」
というものは、やがて見つかります。

未来のことですが、分ります。

それは、急速に訪れるものではなく
少しづつ近付いていくものに感じます。

今も、迷いもがきながらも
近付いている感触があります。


それを見つけても、その先の人生には
大きな壁や苦しみが待ち受けているでしょう。




どうあがいても、人生に苦しさはつきもの。

それならば、やっぱり

人それぞれの「頑張ることの意味」が
他人から見てどんな些細なことでも、
馬鹿らしいことであっても
(例えば「馬鹿笑いすること」などであっても)

その人にとって
それが尊重されてほしいと思います。

「頑張ることの意味」こそが
闇雲にただ頑張ることよりも
大切なのではないかと
思っています。



「頑張れ!」とか
「頑張る動機を見つけろ!」とか

人にそんな強要をする趣味はありません。

逆に、どうしても頑張れない時期があったって
いいんと思います。

ただ、この長く下手な文章を
読んでくれたあなたが
あなた自身の人生に喜びを見出しながら進んでくれることを

わたし自身の人生も、喜びあるものになってほしいと願うとともに
祈っています。

わたしもあなたも、倖でありますように。



posted by lilac at 18:00| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

「頑張る」という倒錯、9


「魂が喜ぶ」というほど
体の芯までに「喜び」を感じることって
みなさんにとって、何でしょう。


例えば、僕は可愛い女の子といちゃいちゃするのが大好きなんだ!

と、自分の「好き」と自覚している学生がいて
でもって、可愛い女の子と毎日いちゃいちゃしていたとします。

しかし、なぜか彼は満たされません。

そんな彼は子供嫌いなのですが
大学の実習で、保育園で子供の世話をしなければ
ならなくなりました。

嫌々ながら子供の世話をする彼ですが
思い切り彼に飛び掛ってくる威勢のいい子供。
怪我をして泣いているのを世話すると、笑顔になる子供。
だんだん彼になついてくる子供達……。

実習が終わっても彼は
「俺は子供が嫌いだ」
と思っていました。

しかし、なぜか、胸の中いっぱい、満たされた思いでした。
大学で可愛い女の子とイチャイチャしているときには
こんな思いは感じられませんでした。


後に彼は言いました。

「子供は嫌いなんだけど、自分にとってこれが
 魂の喜ぶことなのかもしれない」


と。


ちなみに、彼は僕自身ではありません。
僕はそんなにイチャイチャできるご身分ではありませんので。

彼は僕の友人でしたが、同じ授業を受けていたので
先生の言葉を思い出して、そう語ってくれました。

自分が「好き」と思っていることが
「魂が喜ぶこと」になるとは限らない

そんな関心深い話です。


posted by lilac at 18:00| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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