2010年06月20日

説明過剰を避ける



説明過剰は避けよう。

説明しなければ伝わらないのではないか……

そう恐れるばかりのおぞましい結果が
昨今の説明過剰なドラマ、映画ではないだろうか。

興味深い、質のいい映画をたくさん観て
いかに映画とは説明を省くものであるか
説明を省略するものであるかを
実感しよう。

過剰な親切心、不安から来る
膨大な説明的描写は

実は視聴する側にとっては
退屈な長丁場でしかないことを
身にしみておこう。

映像作品は省略にこそ、美しさがあるのだ。




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2010年06月18日

省略ということ


シナリオに関して
映像作品に関して

重要なことは、いかに省略するかということだ。

すべてを見せようとするのではない
時間を、話を、動きを
いかに省略し
いかに美しく伝えるか。

そこが要だ。


無駄を省いた時空間のジャンプこそ
時間芸術である映像表現の強い魅力なのだから
そこに面白さを見出そうではないかっ


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2010年03月23日

創作と批評3 創作者と批評




これまで批評について述べてきた。

では、創作と批評との関係について
考えてみたい。


もし、批評家であるならば、
必ず創作をしなければならないというわけではない。

批評家本人が創作をしていないからこそ、
批評家の視点で、主観や思い入れから作品を突き放して
批評できるという利点があるだろう。


しかし、創作者が、批評ばかり行っていることは
時に彼の創作に、支障をきたすかもしれない。

誤解の無いように書いておくが
創作者が批評を行ってはいけない、とか
創作者が批評を聞き入れてはいけない、と考えているわけではない。


ただし、創作者であるなら、自分の創作の割合が
批評の割合よりも、はるかに少なくなり
批評ばかりに偏ってしまうことは
創作が止まってしまうという危険性をはらみ
問題になってくるのではないだろうか。


自分の作品に対して、あるいは他者の作品に対しての
批評や分析は
自らの創作においても、よい着眼点をあたえてくれ
役にたつだろう。

しかし、批評や分析の割合ばかりが膨れあがり
創作に手が回らなくなっていくると

いよいよ問題ではないだろうか。

批評しかできなくなると、創作は難しい。

創作を行うものにとって
この点は、常に心に留めておきたいものだ。

バランスが必要だ。
何事も。

実践と理論
このバランスのように。

どちらに偏りすぎても、いつか破綻をきたすだろう。
もちろん、一時的にどちらかに偏り
後に失っていた一方を取り戻すことはあったとしても。


創作を行う以上、
内省すること、外の世界に向き合うこと
そして物語ること、
これを忘れてはいけないと、非常に強く
わたしは感じている。


posted by lilac at 15:00| 創作と内省のメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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