2010年03月16日

奥村土牛の言葉




「芸術に完成はありえない。
 要はどこまで大きく未完で終わるかである。」
 




posted by lilac at 14:50| 絵画論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ジオフォスの笑い アンセルム・キーファーの芸術』 多木浩二  1、戦争  内戦――ジェノサイドの綿密画


――――――――――――――――――――――――――――
(ジェノサイドとは)

一つの人種・民族・国家・宗教などの
構成員に対する抹消行為。

元はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に対して使われた。
一般には大量虐殺の意。
その他

・国外強制退去による国内の民族浄化
・異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消
・国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する
 断種手術の強要あるいは隔離行為

など、あくまでも特定の集団の抹消行為を指し、
その手段が必ずしも殺戮である必要はない。

――――――――――――――――――――――――――――


「小さな戦争の深刻さを見逃してはならない」


(芝居『死刑執行人・十四号』に関しての記述)


「それを体験している人びとは、すべての戦争の根底にある破壊を、
 身体と精神でまともに引き受ける」


「恐怖にさらされる日々の経験のなかで
 暴力、敵意、憎悪を自分の中に見つけていく。
 それらは彼の中にだけ潜んでいたのか
 人類のすべてが同じように凶暴さを秘めているのか」


「「幼いとき、私は残酷ではなかった」 

 それが最初の静かな台詞だった」


「都市の崩壊、亀裂は、彼の精神の崩壊でもある」


「彼はぞっとする。死が蔓延しはじめたように思われた」


「都市を壊すことは、そこに生きてきた人間の脳を壊すことだ」



(出典)

出版 岩波文庫 1997年
『ジオフォスの笑い アンセルム・キーファーの芸術』 多木浩二 
posted by lilac at 02:47| 絵画論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ジオフォスの笑い アンセルム・キーファーの芸術』 多木浩二  はじめに




「二十世紀ほど人間が深い傷を受けた時代はなかった」


「彼(キーファー)が視覚的な形象や物質を使いつつ
 存在、生、死、恐ろしい神々への問いかけを
 投げかけるのを辿った。
 つまりここには物質化された「視覚的な形式」のほかに
 「非視覚的な理念」が潜んでいる」

「彼の作品では、形象も物質もすべて比喩である」


「比喩とは見える形象と見えない意味との結びつきである」


「キーファーの作品を経験することは比喩としての世界を
 想像力によって生きてみることである」


「われわれは比喩によって
 思考することを忘れてきたのではないか」


「われわれは無意識のうちに思考のある部分を抑圧していることに
 気がつかないでいる」


「キーファーの作品によって、
 われわれはこの抑圧から自分を解き放つ経験をしてきたのである。

 それは同時に自分自身の無気味さに向かい合う不安な経験であった」


「作品がいかに暗く、いかに重かろうと
 そこには飛翔の夢があり、彼もわれわれ観客も
 最後までは絶望しない」


「作品から吹いてくる風は、
 何千年かの歴史を吹きわたってくる風だ」


「視覚的には把握できない理念にぶつかるからであろう。
 そんなときでも、芸術派未知なるものを含んだまま、
 全体として受け取ることができる」


posted by lilac at 02:06| 絵画論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。